魚柄仁之助さんの講演会で『食育』について学ぶ!

食文化研究家 魚柄仁之助さん

「ほんものの食育を実感できますか?」

の講演会にパルシステムのイベントで行ってきました。

 

「食育」という事についてそれがどういう意味があってどういう事なのか?深く考えたことがなかった私にとって、衝撃的なお話しばかりで

「食育!について、1から考え直すきっかけになった」そんな講演会でした。

 

以下、講演会の資料と魚柄さんのお話しを記載していきます。

 

★魚柄氏の著書「食育のウソ・ホント」より

食育にもいろいろな分野がありますが基本は「本当のこと=事実」を知る=学ぶことから始まります。ウソ…とまでは言わずとも根拠のないこと、又聞きの受け売りじゃ、ホントのことにはなりません。

「日本人は昔から〇〇をたべていた」という表現もよく使われていますが、「その根拠は?」に答えてくれる人がほとんどいない。

くせものは「〇〇と言われている」という表現法です。

根拠、証拠となり得る資料(歴史的事実、それを証明できる信頼性の高い資料)が無い場合によく使われる表現方法が「〇〇と言われている」です。誰かが書いた「〇〇と言われている」を読んだ人が、さらにそれを引用して「昔から言われている」と使ってしまう。誰が・いつごろ言ったことなのか、どのような文献、資料を基にしているのか_を、ぼかしているわけですね。それが繰り返された結果、根拠のない事柄が歴史的事実であるかのように思われるようになる。これ、悪意なき捏造かもしれません。

 

根拠(証拠)となるものが見当たらなくても、「昔から言われている」ことは正しいことと思い込みがちです。冷静に、客観的に、感情的にならずに、検証してみましょう。

「〇〇は体に良いって昔から言われてますよね」と言うヒトに根拠を聞いてみると、だいたい「そう言われているんじゃないんですか?」という答えが返ってくる。

つまり根拠は「誰かの言ったこと」なんです。これ、伝聞と言います。

それを今度は別の人に教えてあげる。

「〇〇はからだにいいんだって」

これ、受け売りです。こうして受け売りの又聞き、伝聞が拡散して行き、ソースが何なのか誰にもわからない「世間の常識」となってしまうのです。

昨今の食育テキストを見ますと、この「昔から言われていること」の根拠を精査していないように思えます。たとえば_「お米が体によい」と説く人もいれば、「米の炭水化物はよくない」と説く人もいる。

どちらも一理あります。栄養学的、食糧生産上の利点、嗜好の問題などを踏まえた上で、米を食べることが自分にとってよいことなのかどうかを判断できる人に育てること_これが「食育」だと思います。しかし、米を語る時に「日本人は昔から米を主食としていたから米が体にあっている」というような意味不明なことを話したら、歴史的事実と異なったことを教えていることになってしまいます。

 

「食べ物に感謝しよう」とから「食べることは生きること」のような精神論ばかりが先行する今日の食育に対しては「なぜ?どーして?」と、疑問を持つ力が必要です。それが食力。食力をつけるために必要なホントの事をこの本こら読み取ってくださいまし。

 

★講演会資料より

食育の目指すものは…ナニ?

→子供が保護者の庇護から離れて社会に出た時、自分の食生活を自分でコントロールできる人になる事。

→•食べられるものと食べられないもの…つまり体の為になるものと、身体を壊すものを見分けられる。

   •体に必要な栄養素がどの食品に含まれているか?を理解する、

    •栄養知識を踏まえたうえでどのような料理を食べればいいのか?選べる事。

   •自分の置かれた環境(経済力.住環境.時間的余裕)の中で料理を作れる技術がある事。

   •これらの条件を満たせ、それに沿った食生活を持続する生活習慣を持つ事。

            つまり「知識」と「技術」を併せ持った人…でしょう

→食べる事はやめる訳にはいかない。それが体にとってよい食事なのか?よくないのか?考えず。教わらず、漠然と食べ「させられて」いるといつ間にか体調を崩してしまうこともある。生命にかかわることである。「何を?どう調理して?どのように食べるか?」考えなくても生きていける時代になったような気がするのが昭和〜平成ニッポンだったが、それは健康で天寿を全うするにはあまりにリスキーな食べ方ではなかっただろうか。

→今日の食育の先生方が使用する「食育教材」はたくさん出版されていて、それに基づいて学校で「食育」が行われています。その食育教材で取り上げられている事の根拠が科学的・歴史的な事実(=本当の事)と違っていたとしたら•••間違った事を「根拠」とした「教育」っておかしくはないだろうか?いや、それ以上に危険な事ではないだろうか?

 

現在の「食育」が正しいとか間違っているとか、判断するのは個人が行う事。食育の根拠となっている事実を正しく知った上で、一人一人が自分で判断を下すのがよろしいのではないだろうか?

 

テレビの刑事ドラマでよく見かける殺人事件に真っ先に駆けつける「鑑識」の捜査員。現場に残された「指紋、毛髪、血痕、体液、遺留品…」あらゆる痕跡を正確に採集して回ります。先入観は持ちません。

これと同じ作業が食文化の解明においても大切です。

「日本人の主食は昔から米だった」という一見当たり前に見える事も「鑑識」すると、とんでもない事実を正確に知ることになります。

「ほんとうのこと」を踏まえた食育を理解して実践する事で食事に向かう姿勢や道徳も自然に体得してゆくのではないでしょうか。

→薩摩芋掘りを体験し、農家の方の苦労話も聞き、芋類が救荒食物として大切にされていた歴史も勉強、そして10個ずつのさつま芋をもらってお家に帰りました。

 これが今日よく見かける体験型食育です。芋を持ち帰った子供とそれを受け取った親御さん、その芋をどう扱っているのでしょか?ある学校のPTAの皆さんに聞いてみたら

•冷蔵庫に入れておいたら腐ってきた

•たくさんありすぎて持て余している

•どう調理したらいいのか?わからない

•焼き芋にしたいけど、めんどくさいし、やり方もよくわからない

・・・

芋掘り体験学習から2週間後の事でしたが、ほとんどの家庭で手付かず状態でした。

           この「食育」•••どう考えますか???

 

★講演会での魚柄さんの話しから

三浦雄一郎さんが90歳代でもこんなに元気!こういうのを食べているから…だからそれを食べれば同じように90歳で元気でいられるのか?

横山大観は長寿だったが大酒飲みで1日5升飲んでて、亡くなる前でも2升飲んでいた…だからそうすればいいのか?

      これは誤解誘導型という!

 

よく「旬のもの」とか「伝統的な…」「昔ながらの」、「和食の概念」など言われているが、それは情緒である。本当は私たちは死なない為に食べるのである。

日本人はその時代のその環境のなかで、入手可能な食材を使い、アレンジして、こんなに色んな事をやってきた。

 

「だしの文化」というが、戦前に出汁をとる人は1%しかいなかった。農家の人たちは、しいたけは作るが煮干しやかつぶしは買えなかったし、かつぶし削りを使い出したのは明治から。こんぶはお金持ちしか手に入らなかったのだから出汁を使っていなかった。

 

「食の団らん」、昔は1つの部屋しか灯りをつけていないしすきま風は寒いので、皆集まる。だから食卓に集まっただけ。「食卓」は食だけではない。それに昔は家父長制度で父だけがいい物を食べていた。「食卓の団らん」はあっても「食の団らん」はなかったのだ。

 

「太古の昔から日本人は米を食べていた」、ウソ!!平安時代はアワ、ヒエ、ムギなどの雑穀米を食べていた小作人小作人が作った米を朝廷が食べていた。

江戸時代までに1日3食、米を食べていた日本人は10%。日本人の多くが月に何回か、あるいは年に何回かしか米を食べていない。どれだけ調べても農民に十分な米を食べたさていた藩はない。

玄米は大正9年以降農耕機具が出来て食べられるようになった。その前は非完全玄米でキネでつついていたがキズがつくのでそうするとカビが生える。

玄米は体に良い!と言われるが、主な栄養素のビタミン Bは現在では豚肉や豆類で摂取できる。

 

「こうしなさい、あ〜しなさい、」ではなくウソかホントか…本当のことを知る事が大事、その事実をどう受け入れて?自分はどう行動するか?は個人の問題なのです。

 

 

「食育のウソとホント」捏造された「和食の伝統」  魚柄仁之助〈著〉

https://item.rakuten.co.jp/book/15648573/